幸福について考える

先日、ある経済学者の方のお話を聞く機会がありました。

その方は主に貧困と格差の解消を研究をされている先生です。

その話の中で「幸せとは他者との比較によって生じるものである」というキーワードがありました。

確かに、自分よりお金持ちで、時間的にゆとりをもった生活している人を見ると「羨ましいなぁ」「自分なんてこんなに苦労しているのに」と感じてしまいませんか?

反対に、自分より経済的に貧しくて、時間的に余裕のない人を見て、「自分はまだマシだ」「自分はまだ恵まれている」と考えてしまうことはありませんか?

 

現代は、とかく他者との比較が目に見えやすい時代です。

特にSNSの影響は大きいですね。

ツイッターやフェイスブックを見ると、インスタ映えと称した煌びやかな写真が山ほど出てきますし、そこに尾ひれが山ほどついたリア充エピソードを見ていると、鬱屈した気分になって当たり前だと思います。

 

しかし、この「他者との比較による幸福思考」から脱却しなければいつまでも幸せを感じることはできません。

上を見ればキリがないですからね。

ビルゲイツかウォーレンバフェットか、ジェフベゾスにでもならなければ幸せになれないことになってしまいます。

 

では、どうすれば幸せを感じることができるか?ですが、やはり「今、あるものへ有難(ありがた)みを感じる」ということではないでしょうか。

幸せは「なる」ものではなく、「今ある中で見つける・感じる」ものだということです。

今、当たり前のようにある日常は、決して当たり前ではないのです。

 

今日も、自分を必要としてくれる場所(ex家庭・仕事)があって、幸せだなぁ

今日も、子どもが元気にご飯を食べてくれて、幸せだなぁ

今日も、パートナーが無事に帰ってきてくれて、幸せだなぁ

今日も、温かい布団で寝れて、幸せだなぁ

 

そんな風に感じることができれば、自然と幸せを感じることができます。

反対に、幸せに「なろう」と思ってしまうと、永遠に幸せになることはできません。

日常の一つ一つのことが、明日失ってしまうかもしれない、と思えば、自ずと「今日一日が無事に過ごせて幸せだった。」と感じることができると思いませんか。

「他者との比較による幸福思考」から脱却して、日常の中にあるたくさんの幸せを見つけたいですね。