「親ガチャ」がトレンドワードになっています。
近年のインターネットで生まれたと思われるワードですが、9月9日放送の民放番組「バラいろダンディ」で取り上げられたこともあり、一気に話題となりました。
今回は「親ガチャとは何か?」「親ガチャについて私が思うところ」について綴ってみます。
親ガチャとは?
親ガチャとは、子どもから見て、「生まれてくる親を選べない」「親には当たり外れがある」という親の運要素と、カプセルトイのガチャガチャやスマホゲームでキャラクターを入手する際の「ガチャガチャを回す」概念を掛け合わせた造語です。
使われ方の一例をあげると、お金持ちの家の子を見て「あいつは親ガチャ当たりだよね。俺は親ガチャ外れだよ」のような言い方となります。
子どもは親を選べません。
子どもへ愛情深い親、淡泊な親。
教育熱心な親、放任な親。
子どもと一緒に遊ぶのが大好きな親、スマホやテレビに任せてしまう親。
ユーモアのある親、生真面目な親。
虐待やDVをする親、しない親。
子どもにとっては、どのような親の下に生まれてくるかは、運でしかありません。
ガチャガチャ同様に「当たりが出るか、外れが出るかは運次第」と言えるでしょう。
親ガチャは事実。まず受け入れる。
民放番組「バラいろダンディ」では、「親ガチャ」について、NEWSの小山慶一郎さんが「嫌な言葉ですね。親ガチャってワードがまず嫌だな。親はショックだよね」と述べるなど、言葉や概念そのものに否定的な報道だったようです。
しかし、近年の社会学を学んだり、統計調査を見れば、親ガチャによって子どもの人生のスタートラインが大きく異なってしまうことは、否定しようのない事実と言えます。
マイケルサンデル氏の「実力も運のうち 能力主義は正義か?」だったり
最近では、橘玲氏の「無理ゲー社会」などを読めば理解できるでしょう。
「親ガチャ」は存在し、「親ガチャ」によって人生のスタートラインが異なってしまう。
これは否定することが難しい現実です。
ただし、「親ガチャ」という言葉の好き嫌いについては、分かれるところでしょう。
「親ガチャ」という言葉に、揶揄・皮肉的なニュアンスもそれなりに含まれていますが、私は「親ガチャ」という言葉そのものは好きも嫌いもありません。
使われ方・文脈によって好き嫌いがあります。
「親ガチャ外れたから、何しても無駄・・・↓↓」と否定的な使われ方なら好きではありません。
「親ガチャ外れたけど、〇〇している/〇〇がんばっている」という肯定的なブラックユーモアなら、好きですね。
まとめ:人生はガチャだらけ。しかし、誰もがSSRを2枚は引いている
実は、今回と同様のテーマを、今年の1月に執筆していました。
マイケルサンデル氏よりも3か月早く、絶妙に時代を先取りしていますね。
幸せな人生か、不幸な人生かは、運で決まる?
そして、当記事で、私は以下の通り書いています。
しかし、「現代」の「日本に生まれた」あなたは、これだけで99%運の良かった人です。
人権と最低限度の生活が保障され、医療が行き届いていて、水道をひねればきれいな水が飲めて、スマホ(インターネット)で様々な情報を探すことも発信もすることができる。
これは多くの犠牲と努力によって積み上げられた恵まれた環境であることは間違いないのです。
ですから、日本語のこの文章を読めているあなたは、間違いなく運の良い99%の人です。
ガチャは親ガチャに限らないのです。
「国ガチャ」「時代ガチャ」「就職ガチャ」「上司ガチャ」「友人ガチャ」。
人生は、努力だけではどうにもならないガチャだらけなのは現実です。
しかし、「現代」の「日本に生まれた」というだけで、SSR(スーパースペシャルレア)を2枚引いているのは間違いないのです。
色んなガチャがあったとしても、めげず、折れず、腐らずに、日々を精一杯生きましょう。