幼児教育業界に携わり、事務職にて5年、園長職にて7年が経過しました。
その間、幼稚園教諭免許・保育士資格を取得したり、様々な研修に参加し、たくさんの園長先生や教育学者の先生より幼児教育・保育について話を伺ったりしてきました。
その中には、私たちの行っている一斉保育(総幼研)に対して強い否定派の方もいらっしゃいました。
「子どもの主体性や多様性は無くてもいいんですか?」
「北朝鮮の軍隊のようにしたいんですか?」
と強く非難されたこともあります。
まだ未熟だった私はそのようなことを言われて、総幼研・一斉保育について迷った時期もありましたが、現在は自分なりの答えがまとまりましたので、私の考えを述べたいと思います。
結論を一言で言えば
「教育には多様性が必要」
ということになります。
一斉保育は子どもの多様性を奪うのか?
一斉保育否定派の方が良く言うのは「一斉保育は子どもの多様性を奪う」というものです。
「一斉保育は、先生からの指示により、みんなと同じことをやらせる教育だ。それでは子どもの多様性を育むことはできない。」
というような主張ですね。
しかし、この仕事に就いて12年間、子どもや社会を見ていたら
- 自由保育で伸びやすい子もいれば、一斉保育で伸びやすい子もいる
- 自由保育で伸びやすい特性もあれば、一斉保育で伸びやすい特性もある
- 自由保育で育った特性が活きやすい仕事(業種・職種・役職)もあれば、一斉保育で育った特性が活きやすい仕事もある
というのが分かってきました。
一斉保育否定派の先生(学者)の方は、「一斉保育=悪・不要」の構図にしたがるのですが、もし、世の中の幼稚園・保育園が全て自由保育になってしまったとしたら、
- 一斉保育で伸びやすい子も、自由保育で育たなければならない
- 一斉保育で伸びやすい特性が、自由保育で伸ばすことができない
- 一斉保育で育った特性が活きやすい仕事でも、自由保育で育ったことで能力が不足する
といったことが起こりえます。
これは、目の前にいる子どもにとって最適な教育・保育環境を提供するという視点(ミクロ視点)からも、かわいそうなことですし、
様々な教育環境を提供し、どのような未来がきても対応し得るように多様な国家人材を育成するという国家運営(マクロ視点)からも大きな損失と言えるでしょう。
一斉保育も自由保育もそれぞれ役割がある
このことから、「自由保育が正しく、一斉保育は悪」なのではなく、「自由保育も一斉保育も存在し、子どもの適正にあった教育環境を選択できる社会が望ましい=教育には多様性が必要」というのが今の私の着地になりました。
「子どもの多様性が大切」だから「教育にも多様性が大切」で「一斉保育も自由保育もそれぞれ役割がある」ということです。