このところ、社会生活が不安になるような事件が続いています。
直近で特に衝撃的だったのは、10月31日、京王線で映画ジョーカーの役に扮した男性が、電車内で刃物を振り回し、車内で火を放った事件は記憶に新しいことです。
本事件の犯人はいわゆる「無敵の人」だと言われています。
「無敵の人」は以前からインターネットの一部で使われていましたが、今回の事件をきっかけに更に注目度が上がりました。
「無敵の人」とはどのような人でしょうか?
無敵の人とは?
無敵の人とは、「失うものが何もなく、逮捕・収監などの社会的制裁を受ける事に未練がない人」です。
社会的・生活的に安定している人は、仕事や家族、友人や恋人、好きな趣味の時間などを失うリスクから、逮捕や収監されるようなことを避ける意識が働きます。
無敵の人は、仕事や人間関係など、「大切で失いたくない」というものが無い人です。
つまり、逮捕や収監などを恐れていないから何をしても構わない=後先を考えず何でもしてしまう=無敵、というロジックとなります。
字面では、ポジティブな用語にも見えますが、ネガティブな意味合いの方が圧倒的に強いです。
無敵の人はなぜ無敵になってしまうのか
無敵の人は最初から無敵な訳ではありません。
多くの場合において、以下のようなものを失ったり、がんばっても得ることが難しいという無力感を感じた時に陥ることになります。
- 良好な人間関係
- 安定した仕事
- 安定した金銭状況
- 他者から愛されている
- 他者から必要とされている
上記のようなことが、不安定・空虚となった時に、自暴自棄になって「無敵の人」へと変貌してしまう訳ですね。
無敵の人を生まない社会へ
無敵の人は誰にでも関係がある
「私は仕事も充実し安定しているし、友人関係も家族関係も良好だから、無敵の人とは関係ない」と考える人がいたら、2つの点で誤りです。
1つ目は、「誰だって、いつ・何をきっかけに仕事や人間関係が悪化するかは分からないから」です。
東日本大震災のように、一瞬で自分の命以外の全てを失う可能性は0ではありません。
自分や身近の人の交通事故で人生が一変する可能性は誰にでもあります。
「無敵の人になってしまってもおかしくない落とし穴」は人生の道中には間違いなくあるのです。
2つ目は、「無敵の人に巻き込まれる可能性があるから」です。
京王線に乗っていた人は、ジョーカー男に恨まれて復讐された訳ではありません。
たまたま偶然その電車に乗り合わせていただけです。
その他の事件でも、「無敵の人」の事件は、「恨みのある人への復讐」ではなく、「誰でも良かった」という場合がほとんどです。
そして、「誰でも良かった」と言う場合、狙われるのは、屈強な男性ではなく、反撃されなそうな「女性・子ども」です。
あなたや、あなたの愛する子どもが狙われる可能性は充分あるのです。
無敵の人を生まない社会へ
できれば「無敵の人」が生まれない社会が望ましいですね。
無敵の人が生まれてしまうのは、本人の努力不足なのでしょうか?
もちろん、そのような一面もあるでしょう。
無敵の人の多くは若く、人生まだまだやり直せるチャンスに溢れています。
しかし、そのような事を教えられたり、気付く機会に恵まれなかったことも確かです。
他にも
- 保護者の教育・養育内容
- 保育園・幼稚園・各種学校などの教育環境
- 労働環境
- 生活に困窮した際のセーフティーネット
- 閉そく感(右肩下がりが続く日本社会)
などが考えられます。
前半ほど個人や家庭の要因であり、後半ほど制度や政治の影響が大きいです。
まとめ:無敵の人を生まない社会を皆で作ろう
今回は、「無敵の人」の紹介と考察をしました。
「無敵の人」は「失うものが何もなく、逮捕・収監などの社会的制裁を受ける事に未練がない人」です。
無敵の人は、誰でも突然陥る可能性があります。
無敵の人を生み出さないような社会が望ましいですね。
無敵の人を生み出さないような社会を作るために、あなたなら何をしますか?